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ここで連載をさせていただくようになってから… はや1年。2年目に突入して第1回目の今回の連載更新の日付は、奇しくも,日本人として生まれたからには忘れてはいけない、8月15日となりました。

幸か不幸か、身内に、ほんとうに悲惨な戦争体験をくぐりぬけて来た人がいなかったこともあってか、また広島や長崎、沖縄をも訪ねたこともないからか、戦争の悲惨さ・被曝体験について深く話を聴く機会もなく、戦争の爪痕の残る場所を訪ねて自分の五感で何ごとかを感じとる体験もないまま、今まで歳を重ねてきてしまいました。

あるとき何気なく8月15日を「終戦記念日」と口にしたことがあり、そのとき同席していたアメリカ帰りの知人から「日本人の殆どは終戦記念日と言うけれど、正しくは敗戦記念日だ。臭いものに都合よく蓋をしてはいけない」と指摘を受けたことでハッとした… そんな私が、この日を迎えて、何を言えるのか…

この3~4年、毎日のように小ぶりのカメラを首からブラ下げて、その日そのとき自分の居るところで,ふと気になる光景をひたすら写す… そんな日々の撮影をつづけています。 そんな風にして、意識的に、かなり集中して写し続けることにのめり込んでいたある冬の日のこと。通るたびに必ずショーウィンドウをチェックしている とある古道具屋さんの前で、ギクリと立ち止まってしまいました。

…旧い家族写真が大量に集められて戸板に貼られて立てかけられている、その前にカラスの剥製、そして古びた義手・義足、ドライフラワー等等… かなり異様な組み合わせの演出だけれど、ちょうどその中心に冬の陽の光が円く射し込み、向かい側のマンションの合間からのぞく青空が映り込んでいて、思わず写さずにはいられませんでした。

あとから確認してみると、その写真は、怖いような冥(くら)さも孕んでいるのに、不思議な明るさと希望の力のようなものも感じられ、どこかしら、ずっと心に引っかかっていました。

それから一年ほど経って、それまで撮り溜めた写真のなかから個展を開こう!と、展示作品のセレクトを考えていたとき…他の写真とはだいぶテイストが違うのに、この写真をどうしても入れたい、と気になって、この一枚をずっと眺めていたら… ふっと、腑に落ちました。 

私の日々の写真は、大半が東京や都市の路上で写されていて… 毎日,何気なく踏み歩いているアスファルトの地面の下には、こういった、戦争の犠牲になり傷ついた多くの方々やそのご家族たちの人生が折り重なるように積み上げられているのだと… その方たちの目に見えない支えがあってこそ、今の平和な日本の私たちの生活があるのだと… 私が暢気に写真を撮っていられるのも、夥しい数の先人たちの様々な人生の喜怒哀楽の層が、滋味豊かな肥やしとなって、育み導いてくれているのだと… なんだか、そんなことが一瞬のうちに閃いて、戦慄が走るほどに敬虔な想いに打たれ、深い感謝の念が湧いてきました。

その後、初めての個展の展示空間で、この写真が要のような存在となって見守ってくれたような気がしたのは言うまでもなく… 

また去年~今年にかけて、東日本大震災の被災地から救出された写真たちのスキャニングのお手伝いをしたときも、何度となく心のなかでこの写真を思い起こしました。 …犠牲になられた多くの方たちの無念の思いを想像しながら、ご冥福を祈りつつ… きっとその方たちが被災地の方たちを、そしてこれからの日本を見守ってくださる、と、心に刻みながら、淡々とスキャンをしつづけたものでした。

そして、このように写真を介して、霊魂を見送り、また見守ってもらうこともできるような氣がしてくるところも、写真の不思議な魅力の一つだと… そのようにして感知した、多くの無名の市井の方たちの生きて来た証に、感謝の念を捧げるとともに、その方たちのためにも、過去の悲惨な歴史を風化させることのないように、きちんと知ろうとする心を持ちつづけ学び続け、伝えて行かなければならないのだと、気持ちを新たにしています。

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東京オリンピックの年に生を受け、それと知らずとも日本の高度経済成長時代とともに育って来た私。大学時代には学生でも海外旅行に比較的安価で気軽に行けるようなパッケージツアーが盛んになり、就職のころにはまだバブル期半ばの好況で、なんとかメーカーに就職もでき、20代のOL生活は個人の給料の手取りはさほど多くなかったけれど、バブル末期の社会全体の浮かれた風潮にそのまま乗って… いま振り返ると恥ずかしいほどの物欲にまみれた消費生活を送ってきました。

それはすなわち、敗戦後の日本に原子力発電が国策として導入され、それによる経済の発展に踊らされてきた時代… 原子力発電によって生みだされた余剰電力の消費先として、日本列島の大多数の街がの夜の繁華街のネオンに煌々と照らされ、パチンコ屋さんやラブホテルが林立し、コンビニや自販機が24時間光り輝いている、スイッチをつければいつでも電気の灯りがともり、水道の蛇口をひねればいつでも水やお湯がでる、火を使わない“安全”なキッチン… そんな光景や便利さを当たり前と錯覚するほど、飼いならされて来てしまいました。
 

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世界で唯一の被爆国であり、そして世界最大規模の原発事故を引き起こして、今も放出し続ける放射性物質により地球を汚染しつづけている日本。今まで、被爆国の国民でありながら、あまりにも目に見えない放射線に対して鈍感で無知でいすぎた、原子力発電の何たるかも知らなすぎた、私自身を大いに反省し…未知の領域のあまりに大きな氷山に、どこから手をつけていいのか途方に暮れつつも、少しずつでも学んで、正しい知識を身につけて行きたいと思っています。

これまた不思議なご縁の導きで去年の暮れに知り合った、放射線生物学、放射線の人体に及ぼす影響を研究している若い研究者のご協力もあって、身近なところで定期的に、放射線について正しい知識や対策のしかたなどを学ぶ勉強会を開けることになりそうです。つい先日、その最初の回が開かれて、「霧箱」というシンプルな装置で、普段の生活環境でも始終発生している自然放射線を、この目で見ることができました。長くモワ〜っと広がるのがα線、短く細い線がちょこちょことたくさん出るのがβ線… と、実験を目の前にしながら説明を受けると、ほんとうに身近なものとして実感できます。また、生物学・薬学の視点からも、伝統的な日本食…とくに味噌や納豆、糠漬けなどの発酵食品が放射線の人体影響を抑える抗酸化食品としてとても優れている、と、聴いて、あらためて日本の先人たちの生活の知恵の素晴らしさに、感服しました。

東京のスピードで日常生活に追われていると、うっかりすると震災のことも福島の原発から今も放射性物質が洩れ出し続けていることも、意識から遠のいてしまいがちですが、実験を間近に見たり、お話を直に聴いたり、自分の五感で体験すると、気持ちが深く引き締まります。自分でできることは何か、日々の生活のなかで改善できることは何か、現実に即して考えて実行する、ヒントに気づくことができるようになる氣がします。

せっかく、先人たちの多大な犠牲のうえに生かされて、見守ってもらってきた私たち… これからあとに続く未来の日本・未来の地球に生きていく子どもたち・孫たちの世代のために、そして同じ地球上に生きている多くの生き物たちのためにも、取り返しのつかないところまで行ってしまう前に、私たち世代で踏みとどまって方向転換したいものです。
 

霧箱の実験を、映像にしてみました!よろしかったらご覧ください。
http://youtu.be/h-DcL2mEM8k

また、もし放射線のことについての勉強会にご興味おありでしたら、ご一報いただければ、今後のご案内をお送りします。


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