michiko_bkr-fin.jpg

 

前回のブログ「道先案内」で、とある写真のプロジェクトに参加している…と記しましたが、それがこの写真で手にしている「the back page revisited」。

曳舟にあるとてもユニークな写真空間  “Reminders Photography Stronghold” (以下、RPS)※1 で開催されていた「THE BACK PAGE REVISITEDコンピレーション写真集刊行記念写真展」※2 を拝見して、興味をそそられたことが発端となりました。

 

そもそも「the back page revisited」と は…

『ありふれたいつもの場所、とりたてて特徴のない景色、多くの人が行き交い集う公共の領域。あるいは極めて個人的な空間。それらの場所でかつて人が人 の命を奪い、人が人を陥れるために残酷な計画を実行し、罪の証拠を隠蔽し、亡骸を遺棄し、自分自身の存在理由を見いだせず、また社会からの風当たりを恐れ て人を殺め、自身を殺めた。世間を震撼させたあの一件が起きたあの場所の今、そこには、過去の一件を彷彿とさせる、私たちの本能に問いかける痕跡がいまも 残っているのだろうか。』

という RPS のキュレーター後藤由美さんの問いかけに応えて集まった10人の写真家たちが、2013年9月に開催された東京アートブックフェア のタイミングに合わせて、それぞれのニュースプリントを製作して10部セットの BOX入りコンピレーション写真集に仕上げたプロジェクト。

個性あふれる10人の写真家たちのエッセンスが詰まったBOXセットの魅力は、様々な方たちの関心を惹きよせ… 次々に発展し、10月4日〜11月4日までRPSにて写真展を開催… さらには展示会期中の後半の週末に、メンバーの写真家たちと後藤由美さんが講師を務めてくださる、参加者一人ひとりがその人ならではの観点からニュースプリントを作成するワークショップ企画「YOUR BACK PAGE REVISITED」※3 が行われると聞いて、興味深深!!

短い期間で完成まで漕ぎ着けられるか、不安はあったものの、心が動いたからには行動に移そう!… と、思い切って参加してみることにしました。

 

ワークショップの概要は、過去に実際に起きた事件や事故を参加者それぞれにピックアップし、その現場を訪ねて写真を撮り、文を書き、12ページの誌面にまとめる、というもの。講師の方々のアドヴァイスやご指導のもと、テーマ選定とプランニング・取材・撮影から出版までの総合的なプロセスを体験でき、とても手ごたえのある体験となりました。

写真展開催中のワークショップ修了時点では、期間中の特典として、ニュースプリントを完成させたワークショップ参加者3名の分も追加で入れたBOXも、販売してくださいました。上の写真で私が手にしているのは、その特典BOXです。
今後も、当初のコンピレーション写真集は引き続き3500円で販売し、ワークショップ参加者の分は、それとは別に1部300円で販売してくださるそうです。

プロジェクトの事務局の許可も得て、以下、私の作った「the back page revisited」の内容の抜粋を掲載します。もし、ご興味を持ってくださる方がいらしたら・・・

ぜひ、こちらのブログのコメント欄か、この記事の中ほどにリンクを貼らせていただく“Reminders Photography Stronghold” まで、お問い合わせ・ご注文くださいませ!

 

***

 

Stabbing of the U.S. Ambassador to Japan
© Michiko Hayashi / the back page revisited 2013
translation by Ikuko Ishida
english proofreading by Rachel Sato-BANKS

About the case:

At 12:05pm on 24th March 1964, a 19-year-old boy known only as ‘S’, invaded the United States Embassy in Japan and stabbed Ambassador Edwin O. Reischauer in his left thigh. S was caught red-handed.
It was discovered he was a paranoid schizophrenic and it became accepted
that his crime was carried out based on his delusions rather than being politically motivated.Several days after the incident he was moved to Tokyo Prison from Akasaka Police Station and underwent psychiatric tests. He was then moved to Tokyo Metropolitan Umegaoka Hospital and after the decision not to prosecute him he was incarcerated at Tokyo Metropolitan Matsuzawa Hospital that summer.In the spring of 1966, he appeared to be getting better and was moved from an isolation ward to an ordinary ward in February 1967. On 31st August, there was an arson attack on the U.S. Embassy and S, who had been out overnight without permission, was called in for questioning over the arson. On 1st September S was cleared of suspicion, but was once more moved to an isolation ward and his condition worsend as a  result. At 5:50pm on 8th January 1971, he was discovered to have strangled himself in the male toilets of the hospital. He was 26-years-old.

Personal statement:

I searched on the internet for an incident that shook society on the day I was 

born and came across the case of the ambassador’s stabbing. I imagined how 

curious society were at the time about the process of Reischauer’ s recovery, 

how much he cared about U.S./Japan relations, and also about the story of 

the man who was isolated in a psychiatric hospital and forgotten about. This 

was all happening at a time when the whole nation were excited about hosting 

the first Olympic Games in Japan. The prison where S was detained was in 

Ikebukuro Sunshine City, now a commercial complex. Coincidently, I had just 

taken photos of The Sunshine Aquarium for a personal project.
He was diagnosed with paranoid schizophrenia, but as I believe that those who 

express themselves often get their ideas from delusions of some sort, I became 

interested in S and his story. He was only 19-years-old at the time and had 

been dissatisfied with what he saw as the abuses of the American-style education 

system introduced after World War Ⅱ.Although he had no intention of murdering 

Reischauer, by stabbing him he was trying to make his opinions clear to the world. 

After half a century his true intentions can finally be fulfilled in the retelling of 

his story.

ライシャワー米駐日大使刺傷事件

林道子

事件概要:

1964年3月24日午後12:05、米国駐日大使エドウィン・O・ライシャワーがアメリカ大使館に侵入した少年S(19歳)に左大腿部を刺されて重傷を負った。少年Sは現行犯逮捕。彼は精神分裂病者であり、政治、外交問題と全く無関係な奇矯な妄想に基づく犯行だということが分かった。事件数日後より赤坂警察署から東京拘置所に身柄を移され精神鑑定を受け、都立梅が丘病院への強制措置入院を経て、同年夏に不起訴処分決定後、都立松沢病院に転院。 1966年春頃から少しずつ快復の兆しがみられ、1967年2月閉鎖病棟から開放病棟に転棟。 同年8月31日、アメリカ大使館で放火事件が起こり同日にSが無断外泊をして病院に不在だったことから、Sは放火事件の参考人とされた。 9月1日、嫌疑は晴れたが、Sは再び閉鎖病棟に移され病状は悪化。1971年1月8日午前5:50、病棟の男子トイレで縊死しているのを発見された。26歳だった。

ステートメント:

この世に私が生を受けた日に、何か世間を震撼させた事件はあったのか。と、思いつきから検索してみたら「ライシャワー米駐日大使刺傷事件」という大きな事件に行き当った。衆目を集めたライシャワー氏の回復の経緯と日米関係への気遣い、初めてのオリンピックを開催しようという日本の国をあげた昂揚の気運のなかで、精神病院に隔離され忘れられていった犯人。犯人が収容された巣鴨の東京拘置所は、現在、池袋のサンシャインシティになっている。私自身のプロジェクトでサンシャイン水族館を撮影したばかりだった。精神分裂病で荒唐無稽な妄想癖があると診断された犯人だが、表現者は皆、妄想からアイディアを得ることも多いはずだと私は思う。犯人である彼への興味が湧いてきた。当時19歳の少年だった彼は、戦後のアメリカ式の教育の弊害などに不満を抱き、ライシャワー氏への殺意はなく、大使を刺せば日本のみならず海外の人にも広く自分の意見を知ってもらえるだろうという動機から事件を起こしたという。事件から半世紀経とうとする今、私はまんまと彼の思惑にはめられたのかもしれない。

 

michiko_bkr-1.jpgmichiko_bkr-2to3.jpg

michiko_bkr-4to5.jpg

 

 

 

 

 

 

michiko_bkr-6to7.jpgmichiko_bkr-8to9.jpgmichiko_bkr-10to11.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

michiko_bkr-12.jpg

 

 

 

 

 

注) 青い文字のクレジット表記は、実際の誌面には入っていません

 

 

※1 Reminders Photography Stronghold

90平方メートルの広さを誇るギャラリー、ワークショップ、イベント、写真集展示室、写真プロジェクト助成、出版、宿泊施設等、写真関連の多目的な活動を可能にしてくれる場所です。

http://reminders-project.org/rps/ja/

 

※2 「THE BACK PAGE REVISITEDコンピレーション写真集刊行記念レセプション+写真展のご案内」 (会期は終了しています)

http://reminders-project.org/rps/backpage_launchjp/

 

※3 「THE BACK PAGE REVISITEDニュースプリントワークショップ企画、「YOUR BACK PAGE REVISITED」が始動!」

(2013年のワークショップ申し込みは受付終了しています)

http://reminders-project.org/rps/thebpworkshop/

 

ワークショップをご指導くださった後藤由美さんとプロジェクト参加写真家で講師も務めてくださった長谷川美祈さん/塩田亮吾さん/會田園さん/木村肇さん/菅野健一さん、翻訳の石田郁子さんと英文校正をしてくださった Rachel Sato-BANKS さん、同じワークショップに参加して、それぞれの個性の違い、アプローチや表現方法の違いをあらためて感じ考えるきっかけともなった写真家の今井宏さんと本木久美子さん、本当にありがとうございました!!

***

 

この企画のために、犯人の少年の事件後の軌跡を追うべく、当時の巣鴨の東京拘置所の跡地である池袋サンシャインシティ、そして都立松沢病院を訪れて写真を撮りました。

かつての巣鴨の東京拘置所は、戦後、スガモプリズンとしてA級戦犯が収容され、敷地内には東条英機ら7名が処刑された処刑場もありました。その処刑場の跡地が、現在では東池袋中央公園となっています。都立松沢病院は、当時は きちがい病院 として知られていたところ。 どちらも、今はとても穏やかな長閑な空気の漂う場所でしたが、撮影に赴くときには、やはり気が重かったのも事実です。

撮影の折には、たまたま、それぞれの場所で野良猫たちに会うことができ、猫たちとその場に集う人たちとの交流や、野良猫たちの可愛いけれども世を拗ねたような表情、ひと癖もふた癖もありそうな野生のたたずまいを夢中になって撮影しているうちに、僅かでも、犯人の心理に近づけたような、そしてその“場”に受け容れてもらえたような気がして、結果的に、年月を経てさまざまな血なまぐさいものが浄化されてきているような静謐な写真を写すことができたようです。

不思議な「道先案内」の出現に、あらためて感謝しています。

 

 

_N266974.jpg
また、この取材のために、初めてアメリカ大使館を訪れ、予約を入れてレファレンス資料室で古い新聞資料も調べることができました。およそ半世紀前、ケネディ大統領から要請を受けて学者だったライシャワー氏が駐日大使として赴任しており、ケネディ暗殺の悲報から4ヶ月後、日本はちょうど始めてのオリンピック開催に向けて国を挙げて沸き立っていた年の春に、この事件は起きました。

 

奇しくも、この秋、7年後のオリンピックが再び東京で開催されることが決まり、ケネディ大統領の長女キャロラインさんが駐日大使として着任されたばかり。 TPPや、特定秘密保護法案など、これからの日本の行く末、特にアメリカとの関わりがどうなっていくのか、とても懸念される現在の状況と、たまたま今回の「YOUR BACK PAGE REVISITED」で取り上げようと思い立った半世紀前の事件の背景とが、急に私のなかで色濃く結びついてきて、我ながら、不思議なときの廻り合わせに驚いています。

 

二度と取り返しのつかない世界戦争になだれ込むような、愚かな歴史の流れを繰り返さないよう。世界恒久平和の道を、人類が手を携えて進んでいけるよう。日本が、そのための道先案内の役割を果たしていける国になっていきますよう。

あらためて、切に、切に、祈ります。

 

michikohayashi_Sawawa057-1.jpg

ペリー来航160周年の久里浜の花火より