ss01''.jpg

先週、仕事を兼ねて宮崎を旅行した。
都井岬というところには野生の馬たちがいて、車が走る道路を馬が悠然と歩いている景色をみて、まるでルーマニアの田舎のようだ、とおもった。

宮崎にはどこか日本ではないような異国を感じさせる風景がおおく、まるでカンボジアやハワイのようだ、と感動しながら、そんな決まりきった喩えしかできない自分を情けなくおもっていた。
同時に、宮崎は神話の里、神々の発祥地、言ってみれば日本が生まれたところでもあり、日本の里の原風景にも出会えるところだった。

たくさんの心を揺さぶる景色に出会って写真を撮りながら、
あらためて自分が旅に求めているものはなんなのだろう、と考えていた。

あるときまで海外に向かう気持ちのほうが強く、日本の国内にこれほど強く惹かれたことはなかったし、土地のもつパワーをこんなに感じたのも初めてだった。
宮崎に’異国’を感じたからだけではない’なにか’がそこにあるような気がしているのに、結局のところ既視のものに例えることしかできず、陳腐な表現をしている自分を寂しくおもいながら、もっとこの土地を撮ってみたいとおもっていた。
東京にもどって写真を現像してさらにその思いは強くなったし、もっと国内で撮ってみたい土地があることにもきづいた。
旅にでる理由、旅で写真を撮る理由はたくさんあるけれど、いま改めて自分の興味は’土地’にシフトしているのかもしれない。

土地といっても、そこに息づく生命、人間を含む生物の営みや文化、その歴史が含まれているわけだけど、すべてが起因するのが土地なのだと今さらながらに分かったような気がして、これまで自分が旅した土地でもそれを無意識に嗅ぎ取っていたような気がする。
異国の地では、小さなものや何気ないことに発見があり、人との出会いを通して感じるものもおおく、そのどれもが自分にとって宝物のような記憶だ。その背景に土地がもつ意味が大きくあったのだと漠然と理解したいま、さらに旅への思いが募った。

このブログの連載にあたって、そんな旅でかんじた見つけた些細なことを綴っていけたらとおもっている。
もちろん日常も旅の目線で見続けていきたいので、とりとめのない内容にはなるだろうけれど、読んでくださる皆様との呼応のようでもあり自分の気持ちの揺れも表したような「シーソー」という言葉は、以前個展を行った「She Saw」からもきていて、きっとすべてを言い表しているとおもう。

石黒 美雪
http://www.miyukiishiguro.com