ss0005.jpg

 

季節の移り変わりには、
なにか人の記憶に作用するフェロモン(匂い)があるのだろうか。

ここ数日でずいぶんと涼しくなってきたけど、
まだ夏の余韻がのこっていたある日、
「夏も終わりだね。」
と友人に言ったら、
「どうして夏だけ”終わり”を惜しむのか。」
ときかれた。

たしかに、何気なく口にしていたけど、
夏の終わりだけ、多くの人が去る季節を惜しむこの言葉を発する気がする。

まるでつまらない会話の代表のようなありきたりな台詞を発したわたしに、
一石を投じるような鋭い返しをする友人が好きだ。

もののあはれ、をかんじる日本人の特権だろうか。
万葉の時代から染み込んだ記憶なのだろうか。
単純に子供の頃の夏休みが終わってしまう寂しさとか、
どこかそれまでより遠いところから吹いてくるように感じる風の匂いとか、
そんな記憶に連動しているのだろうか。
総てのものが生命力を讃える夏ゆえに、その終わりを人は惜しむのだろうか。

それとも’秋’のせいだろうか。
秋という肌寒くなる季節の特徴が妙にメランコリックな気分にさせて、
私のような単純な人の口からそんな台詞を吐き出させるのだろうか。

はじめて’その感覚’を知った瞬間のことを私ははっきりと憶えている。
たぶん4〜5歳のとき、マンションの渡り廊下で秋の風を受けたときだった。
とつぜん胸の辺りに感じたことのないざわめきと色がついたような記憶のフラッシュバックとが押し寄せて、おもわず立ち尽くした。
楽しかった夏が終わったのを悟った瞬間だった。
そして過ぎ去ったものが戻らないことを認識してとても切ない気持ちに包まれながら、この感覚が嫌いじゃないとおもっていた。それはその夏が楽しかった事を意味していた。
なぜかその時のことをよくおぼえている。
そのとき、とつぜん記憶が過去になり、時間という概念に疑問をもち「なぜ時は過ぎさっていくのか」その意味をかんがえていた。

きっと今年の夏をわたしは満喫したのだとおもう。
季節の移ろいは、ものごとが永遠につづかないことを上手におしえてくれる。
現在が過去になり、失うことで生まれる感情と情緒を大切に。
そうやっていつも人はなにかを失いながら、こぼれる記憶の中からそれを恋しく思って生きていく。

「うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも」

そして私の好きな秋がやってきた。
ss0006.jpg