じつは今年に入ってから(その少し前から)なんだか時間に追われて余裕のない日々が続いている。

そんな時ほど、心はどこか遠くへ、思いを馳せたりするもので、今までに旅した記憶からまだ行ったところのない土地まで、なにかしている間も、私の心は羽をつけて飛んで行ってしまう。

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忙しさを理由にする訳ではないけれど、先日、洗濯物を数日そとに干しっぱなしにしてしまった。

早朝に干したのでまだ暗がりのなか、天気が崩れる気配に不覚にもきづかずに、家をでた後にシトシトと降り出した雨はその後数日降り続き、なんとなく取り込むタイミングを逃したまま、そのまま雨ざらしとなっていた。

やっと晴れた日に、すっかり乾いた洗濯物を再度洗い直して干しながら、ルーマニアで見た不思議な光景をおもいだした。

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ルーマニアでは、雨の日に洗濯物を外に干したままにしているのを度々みかけたのだ。

最初は首都のブカレストで雨の日に、きっと急に降って来て予測できなかったのだろう、とずぶ濡れの憐れな洗濯物を眺めていたのだけど、その後もあまりにあちこちで見かけるのでいつしか写真に撮るようになっていて、田舎にいってもおなじように雪の中に干されたままの洗濯物をみて、不思議になって人に訊いてみた。

数人に訊いてみたのだけど、皆一様に「なにがおかしいの?」という反応だった。

まるで雨の中のほうがよく乾くのよ、といわんばかりだった。

結局、最後まで完全に納得のいく答えは得られなかったのだけど、最後にブカレストの友人によれば、たとえば空気が冷えて凍るときに洗濯物の水分が吸われてパリッと早く乾くとか、すこしだけ科学的にも納得がいくような(?)そんなことを説明されたような気がする。だけど雨の日は??ただ濡れるだけだよ?凍るの待ってるの?

ルーマニアの冬は寒い。たしかにいつも氷点下になることが多く、たまたま私がいた時期が雨だっただけなのかもしれないけど。

どこの土地の人に訊いても、それ以上の答えはなかった。

きっと、それがルーマニアの常識で、風習というものなのかもしれない。

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日本人の私の常識と感覚からすれば、それはやはり不思議な行為で理にかなっているようには思えないのだけど、世の中にはいろんな常識があるものなのだ。

ふと、なんとなくおもったのは、きっとルーマニアでは雨が汚れているかもしれないという意識はまったくないのではないだろうか。

首都のブカレストでは交通量も多くて排気ガスを出した車がたくさん走っているとはいえ、すこし前までは馬車が普通に走っていたそうだし、田舎はまだ長閑な中世の面影をのこした暮らしが残っている地方もあり、大気汚染だとか酸性雨だとか、そういう発想はもしかしたらないのかもしれない。

だから雨であろうがなんだろうが洗ったら外に干して、そのうち自然にお日様が出て乾いたら、取り込めばいい、という感覚なのかも。もともと濡れているものが雨に濡れたって、なにもかわらない、っていう意識なのだろうか。

 

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いちど雨にぬれた洗濯物を、乾いたからといってそのまま取り込む気にはなれずに、もう一度洗い直した私は、その違いについてあらためて考えてみた。

知識や常識の問題だけじゃなく、いまの日本では’雨に濡れる’ということに少し敏感にならなければいけなかったりもする。そこまで神経質にならなくても暮らしていられるのかもしれないけれど、やはりどこかで目に見えないものの影響を密かに怯えて、騙し騙し生活しているところがあるかもしれない。

あたりまえに吸っている空気や大気を、心から信用することがむずかしい。

ルーマニアのように、そこにある自然を、空気や雨がもしかしたら害をもっているかもしれないなんて疑う事なく暮らせたら、それがどんなに素晴らしいかと想像してみた。

たとえ原発の事故がなくても、日本はそんな環境をずいぶん前に失っていたのではないだろうか。

今となっては、そういう環境を日本にとりもどすことができる日はくるのだろうか。

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そんなことまで考えながらも、ただ私は単純に、旅に出て、世界をみて、こんなふうに洗濯物にかんする小さな自分の常識さえも簡単に覆されるのがとても面白いなあ、とそうおもっているのである。