きっかけは、「雪を見においで。」の一言だった。

東北の友人からとどいたメールでその言葉をもらってから、無性に、雪を見に、写真を撮りに行きたくなったのだけど、手帳をみてもしばらくまとまった休みはとれそうになかった。

3月にはいったらもう雪はみれなくなっているかもしれない、と諦めかけていたところに、突然、雪国行きの話が降ってきた。

それは急遽明日から、という勢いで、けっきょく予定の調整は必要だったけれど、渡りに船の気分で「行かなければ」とおもった。

そうして、友人のいる東北ではなく、新潟の雪国へ行くことになった。

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寝不足の目をこすって飛び乗った電車は、一時間もすると長いトンネルを抜けて、そこはもう雪景色だった。

ローカル線に乗り換えて、だんだん深くなっていく雪を車窓から眺めながら、求めていた景色に感動して心が満たされて行くのを感じた。

どうしてそんなに雪が見たかったのかは自分でもわからない。

名前に雪があるから好きだとはいっても、今年は大雪で弊害がでていることも知っているし、雪国で暮らす人からしたら大変な重荷なこともわかっているけれど、ただ白い世界に包まれたかった。

 

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すこし働きすぎで疲れていたのかもしれないし、気分転換がしたかっただけなのかもしれないけれど、白い雪に覆われた静寂な世界は、なにか浄化されているようで、私の心も洗われていくように静かに満たされていった。

急な予定の変更で迷惑をかけてしまった人もいるけれど、私はここに来る必要があったし、来るべきだったのだと何故か強く確信した。

電車にのってしまえば、思ったよりもそばに求めていたものがあったのに、どうして無理かもしれないと諦めていたんだろう。

こんなに簡単に自分を満たしてあげることができたのに、電車に乗るか、乗らないか、決めるのは自分だったのだ。

とても単純で当たり前だけど、人生もそういうことなのだ。

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東北の友人を訪ねたい理由は雪だけではなかった。

あれからもうすぐ一年。

やっとだけれど、行きたい気持ちはあっても行動できずにいたけれど、すべては自分次第なのだと今さらにおもう。

そろそろやっと自分の心に従って動くべきではないか、とそうおもった。