新潟のまつだいでは、雪の中でアートイベントが行われていた。

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「大地の芸術祭」というそのイベントでは、雪の運動会やらソリに乗れたり、夏は棚田がひろがる場所が真っ白な豪雪で覆われ、そこに雪を生かしたアート作品がならんでいて、雪の中を散策しながら楽しめるようになっていた。

どの作品も、雪という特性を生かしていて、土地との関わりや自然に対する深い眼差しをもって作られていて興味深く面白い。

夕方から夜にかけて高橋匡太さんのプロジェクト「Gift for Frozen Village2012」では、1万個の発光LED”光のたね”を来場者がひとりひとり雪原に植えていき、最後には光る花畑が出来上がっていた。

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日が沈みかけてからの空の色の移り変わりは本当にはやく、刻々と暗くなってゆくなか、色とりどりの光が輝きはじめ、最後に高台から俯瞰でみると、それは雪の中の花畑というよりもどこかの銀河のようでとても綺麗だった。

雪の中を散策してアート作品をみていた時からおもっていたのだけど、まったく寒さをかんじず、なぜだかとても暖かかいのがずっと不思議だった。

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その晩は、ジェームス・タレルの「光の館」に泊まらせてもらい、有名な光のインスタレーションは雪のために体験することができなかったのだけど、真っ暗ななか青い光ファイバーが水中を照らす幻想的なお風呂にもはいった。

ジェームス・タレルは光の知覚をテーマに活動しているアーティストで、この光の館は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を参考に作られている。

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「陰翳礼讃」によれば、「もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明というものが発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは 違うものになっていたであろうか。」とあり、たとえば紙の白さひとつとっても、「西洋紙の肌は光線を跳ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔らか い初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。」とある。

そうして電気や電燈のない時代の暗い日本家屋の陰翳にこそ美を発見し、障子をとおして差し込む淡くやわらかい光とそこにできる陰影であったり、またそこで見る掛け軸や漆の食器、金糸で織られた着物がどのように美しくみえるかなど考察されていて、その表現は本当に素晴らしくて、人が(東洋人が)いかに闇や陰影のなかに畏怖のような厳かな気持ちをもったであろうか、ときづく。

写真を撮るのに光というのはとても大事で、それはいつも意識しているけれど、私はどこかで陰に惹かれていてそれを撮ろうとしているところがあり、もしかするとルーツはこんな日本的なところにあるのかもしれないとおもわされる。

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光のインスタレーションは、この建物の一室(和室)に寝転がり、夜明けと日没のそれぞれの時間に天上に設置された四角い窓が空き、そこに切り取られた四角い空の色が刻々と変化していくのを1時間ほどかけて眺める、という体験方のアートで、空の光の変化に合わせてジェームス・タレルが設定した室内の明かり(補色)の明度も変わっていく、というものだそうだ。

残念ながらそのアート体験自体はできなかったけれど、私はひとり夜明け前に目が覚めてしまい、辺り一面雪に覆われたなか、刻々と明るくなっていく銀世界を見つめながら、きっとタレルの作品と同じように光の移ろいを知覚し、体験することができたのかもしれない。

しんしんと雪が降り続き曇っていたその日は、まだ青白くほの暗い空から空気がほんのりと赤みを帯びたとおもうと、あっという間に明るい白い世界へと変わっていった。

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3月も半ばなのに今年はまだ寒いけれど、暦ではもう春分となり昼と夜の長さが同じになった。

1日の中でも1年の中でも光の移り変わりがあり、日本という国ではその時々に名前をつけては愛でてその違いを見過ごさない。

もうすぐ雪の花畑ではなくて、春の桜の花がそろそろ咲いてもいいころだ。