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一ヶ月の立ち日の供養で実家へもどる新幹線のなか、ロラン・バルトの「喪の日記」を読んでいた。
最愛の母を失ったあと2年間にわたって残したメモをまとめたもの。
2年という月日が流れても変わらず深い悲しみのなかにいつづける彼の心の言葉にこの先の自分を重ねると気が遠くなるのと同時に、同じ立場にありながら少しマザコンすぎてついていけない部分を感じつつも、ときおり胸をえぐるように共感を憶える美しい言葉がある。
 
「喪の悲しみの深さがどのくらいなのかと、みんなが推測しているーと感じるー。だが、どの程度であるかを測ることは不可能である。(目に見える症状はごくわずかだし、矛盾しているからだ。)」
「悲しくて、おだやかで、深遠である(いらだちはない)。」
「それぞれの人が自分なりの悲しみのリズムを持っている。」
 
ここ最近は、自分のこととしてだけでなく同じような立場の人の気持ちに想いがいく。
比べられるものではないけれど、震災で、それ以外でも日常に起こっている事件や事故で、または病気であっても、突然に大切な人を失くされた人たちの気持ちが如何ばかりであろうか、とただ想う。
そんなことをおもうと、自分の悲しみは、人類の大きな悲しみのほんの一部であり、もしかするとそれは共有しあえるものなのかもしれない、とおもう。
 
昨年の大震災以降にも感じたのだけど、あまりに大きな出来事というのは時間の感覚を狂わせるようだ。
それ以前と以後では、時間の流れ方が違うような、目には見えないけれど自分を取り巻く周りのなにかが変わってしまったかのようにもかんじる。
ひと月の間にも気持ちの波をいくつも越えて、実際たくさんの事があり、とても長かったようにも感じるし、父が逝ってしまったことをまだどこかで信じられない気持ちからすると、もう1ヶ月もたつのかと、複雑な感覚が交錯する。
 
ちょうど1ヶ月まえ、同じように仕事を終えて新幹線に乗ったときの、不安な気持ちが甦ってきた。
あまり調子が良くないからと知らせを受けて急いで帰ることにしたけれど、そのまま看取ることになるとは思っていなかった。ただ、いずれ覚悟をしなければいけないのだと思うと、涙が溢れてとても悲しかった。
どうしてもそのときの記憶があるからか、新幹線や乗り物にひとりで乗ると、まだ弱くなってしまう。
 
その後の、父と過ごした最期の時間と告別式までの日々は、とても濃密で強く私の記憶に残るであろう。
いずれ写真と言葉で残したいともおもうけれど、今は不思議と穏やかにその時のことを思い出し、その時間が持てたことに心から感謝している。
そして私は、自分の内面よりも、ただ父の事をもっと多くの人とシェアしたいと、そう思っているような気がする。だから友人たちにも父のことを話すことで救われている。
 
 
あれから、週末ごとに出来る限り実家に帰っている。
帰るたびに、父が遺した庭の緑が濃くなっていき、季節が、時間が流れていることを伝えている。
亡くなったときに咲いていたハナミズキは次のときには散り落ちて、このまえはヒトツバタゴが雪をのせたように咲いていた。
思い出すどの光景も、本当に穏やかな天気であったことが慰めのように心を癒し、父が、やさしく見守ってくれているように感じられる。
 
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