もう少しだけ父の話をさせてください。
 
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もうすぐで49日を迎える。
その日までは仏教では亡くなった人の魂はこの世にいるそうだ。
もう2回ほど、夢で父がいつもと変わらず日常にいる夢をみた。
目が覚めてから「いない」という事実を受け止めようとするのだけど、うまくいかない。
一連の出来事のほうが夢だったんじゃないか、とおもう。
 
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きっと亡くなるまえの6ヶ月の間のほうが辛く、父のことを思うと胸が張り裂けそうになっていた。
手術後、順調に回復していたので、今年にはいってしばらく私たち家族はすこし安心していたのだけど、どこかで心配性な私はいつも父のことを気にかけていた。
悲観的になっていたわけではなくて、ただ、誰にでもいつか来る’その時’までが延びたか縮んだかだけで、いちど現実味を帯びたその覚悟は、わたしの中にずっとあった。
きっと父もそうだったのだろう、とおもう。
病がみつかっても「大変なことになって、迷惑をかけてごめんな。」とだけ言っていた父は、抗うことも怯えることもせず、本当に静かに運命を受け入れているようだった。
 
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最期に駆けつけた辛そうなときには、一言「治ったとおもったのになぁ。」とぽつりと言ったので、その本心はまだ死を受け入れてはいなかったのかもしれないけれど、記憶にある父は最期まで一言も弱音をはかず、しっかりとした姿の父だった。
 
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告別式の弔辞で、兄が読む言葉にどうしても私が加えてほしくて書いた、
「寡黙で多くを語らず、とても誠実で優しい夫であり父親でした。」
のとおり、父は最期までなにも語らなかった。
元気なときの最後の帰省で、買い物に行く私に「じゃあ行こうか」と、とくに用もないのに父がついて来た。
少し体力も弱って出かけるのは億劫であったとおもうのに、今おもえば2人きりで出かけるのは最後になるかもしれないと覚悟していたようにもおもう父の行動に私はなにかを感じながらも、いつもと変わらぬ会話をすることしかできなかった。
喉のこのあたりまで出かかっていた言葉はあるのに、まだまだ元気になってくれると信じていた家族と私はその言葉を言えなかった。
父は何か私に言いたかったことがあったのだろうか?
最期までいつもと変わらぬ日常を淡々と過ごしていた父に、最後になにかしたいことはあっただろうか?
「今までの人生、どうだった?幸せだった?」と聞いてみたかったように思う。
 
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父のいない庭にでて写真を撮り、気持ちのよい風を受けて佇んでいると、悲しみはあるのに、不思議だけれど幸せな気持ちになる。
 
最期に父が家に戻った日も穏やかな晴れた日で、ひさしぶりに鶯がやってきて鳴いたのを伏せている父に教えてあげたように、平和な鳥の鳴き声や穏やかな季節に癒されているのと同時に、きっと胸にある父との思い出が穏やかだからなのだろうとおもう。父のことを思い出すほどに、穏やかな幸せな気持ちになる。
私たち家族は、静かだけど大きな存在の父に守られてとても幸せだった。
 
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今もまだそんな父を近くに感じていられるからなのだろうか。
まるで自分に言い聞かせるかのように’穏やか’と言い続けているけれど、父は本当に穏やかで心の広い人だった。
父のお陰で、私をふくめて家族は好きなことを自由にさせてもらって生きてこられた。
そんな父に育てられたことを本当に感謝しているから、
だから最期に、
「ありがとう。」
とその言葉をずっと父に言いたくて、
 
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病室まで持ち越してしまったけど、
最期に力のない手を握って言えたとき、
父は何かを言いたそうにこちらを見た。
 
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どうしてもっと早く言えなかったのだろうとおもうけど、
きっと伝わっていると信じている。
 
私は、父が大好きでした。
 
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