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花のつづきで、
前回帰省した際に、恩師を訪ねると、先生は素敵なバラ園を育てていた。
すこし盛りのシーズンは過ぎてしまったと話していたけれど、それでも何種類もの可愛いバラが咲いて綺麗に手入れされた庭で、お茶をいただいた。
 
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先生は私が小学生のときから英語をおしえてくれていた家族ぐるみのお付き合いで、父の葬儀にも来てくれたのだけど、東京でも不思議なご縁でつながっているなと思ったのが、まだ子供のときに顔を合わせていた娘さんがいまは都内の写真関係の美術館ではたらいていて、たまたま私の個展の案内をみつけて見に来てくれたりと嬉しい再会をしたりしたのだ。
 
ちょうど訪ねたその日には子供を連れて帰省していた彼女にも会うことができて、思いがけず素敵な時間を過ごすことができた。
 
先生は昔から変わらずいつも皆のお母さんのように暖かく、私は先生のおかげで英語を学ぶことの楽しさを知り、外国の文化に興味を持つようになったのだとおもう。
 
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そんな先生のバラ園はとても可愛らしく、手間と愛情をたっぷり込められた花の香りに溢れていた。
 
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こんなに綺麗な花が咲いて楽しませてくれるバラだけれど、育てるのはとても手間がかかって大変だと聞く。
実家の庭も、世話をする父がいなくなったあとには少し油断するとすぐに雑草は伸びてくるし、いつも少しづつ手入れをして手間をかけていたのだなと改めて知ったように、長閑で平和な時間をあたえてくれるその空間は、ただなにもしないでほかっておいて手に入るものではないのだと、最近つくづく感じる。
 
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すこし話はそれるけれど、前回のブログのあと私は人生で初めてデモに参加した。原発再稼働反対のデモに参加するために首相官邸前に行って来た。
本当は前回書きたかったのに、なんとなくこのブログに政治的なことを書くのに抵抗があって(というよりただ切り離しておきたいような気がしただけで、誰かに強制されたわけではなく、そもそも大した影響力もないのはわかっていて)避けてしまったのだけど、いま起きていることから目をそらして自分の内向的な世界だけをつづるのは不自然な気がするので書いてみる。
 
すこし前に、ネットで配信されていたドイツ制作のドキュメンタリーで福島の原子力発電所の現状とそれに関わる政治的な闇を特集したものをみたとき、原子力村という巨悪の存在に支配された日本という構造を強く印象づけるようなその映像をみながら、漠然と、「本当に巨悪は存在するのだろうか。」と考えていた。
もちろんそういう真実を報道、追求する姿勢は必要だし、私たちも知る努力をしなければいけないとおもうのだけど、同時に、すべての原因を、電力会社とその息の根がかかった政治家とマスコミという悪の塊のせいにして、それを責めることが正義のように思っているような気がするけど、本当にそれだけでいいのだろうか、と。
本当に、水戸黄門の悪代官と越後屋のように「おぬしも悪よのう。。」とほくそ笑む悪人たちが存在するのだろうか、と。
いや、もしかしたら存在するのかもしれない。。
けれど、きっとその人たちにも守るべき家族がいて自分が世の中に対して悪いことをしているなどとは思ってもいない普通の人たちなのではないか、とふとおもってしまったのだ。個人個人は、自分なりの論理で正しいとおもうことをしている(してきた)人たちなのかもしれない。
そう考えると、自分は本当に悪じゃないと言い切れるのだろうか、とおもった。
放射能の危険のない、原子力のない社会が理想であり善で、原子力が悪だとするならば、自分は原子力にはなにも関わってこなかったので悪いことをしていないとおもっているけれど、それは同時になにもしてこなかった、ということでもある。
少なくとも自分は、今回の事故が起こるまで原子力発電というものに無関心であったとおもう。
きっと多くの人がじつは無関心であったからいまの状態があるのだとすれば、社会における本当の悪とは’無知’と’無関心’なのだ。
 
そんな思いから、いま自分にできるささやかな事として反対の意志を伝える行動を起こすことが大事なようにおもった。
きっと同じような多くの人の思いで集った国会議事堂前は、正しい事にたいする力のエネルギーをかんじた。
それでも政治は変わらないかもしれない。
それでも、ベルリンの壁の崩壊のときのように、無視できない民意が政治を変えるところを見てみたい、とそう期待させるエネルギーをかんじた。
 
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私はまだ政治的なことを語るには無知だとおもう。もっと知らなければいけないことが多いとおもう。
ただわかるのは、なにもしないでも平和で長閑な生活が約束された時代は終わったのかもしれない。
ひとりひとりが自分にできるなかでの小さな意識と行動を起こすことが、コツコツと雑草を摘み取ることのように、快適な環境の未来を手に入れるために、いま必要なのだと、今更ながらにおもう。
 
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