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写真日記なのに、あまり写真に関して書いていなかったな、と1年も経過してからふと思った。
旅のことを書こうと思っていたからではあるのだけど、ここのところたくさんの写真を見る機会があったので、今回は自分の備忘録的にもすこし写真のことを書いてみようかとおもう。
 
先週末、TOKYO PHOTOという国際的な写真フェアのレセプションの招待をもらって行ってきた。
4年ほどで随分と規模が大きくなり、今年は最大規模のギャラリーが各国から集まり、人がごった返すレセプションでは2時間ほどではすべてをゆっくり見ることができないほどたくさんの作品たちが並び、見応えのあるショウだった。
 
じつは急遽ギャラリーのお手伝いで別の日にも少し覗くことができたので、駆け足ではあるけれど、少し人の減ったときに見逃していた作品も眺め、あらためてたくさんの多様な写真たちが一同に並んでいるという光景に不思議な思いがした。
 
各ギャラリーがお勧めの選りすぐりの作品たちを持ってきて展示しているというアートフェアの性格上、それは当たり前で、一度にそれだけの種類の作品たちをまとめて見れるというのがその良さで醍醐味でもあるし、ギャラリーによって1人2人の作家にしぼってちゃんと色を出した展示をしているところもあるのだけど、なかにはたくさんの種類の作品を寄せ集めて展示しているところも多く、すべてを見終わったときには、頭がすこし混乱している感覚だった。
 
その善し悪しを言いたいのではなく、ただそれだけ多くの作品を一度にみると、単純に「好き」か「そうじゃない」かだけでひとつの作品を見て次の作品にいく、という行為になりがちで、私は多くの作品を自分のフィルターにかけて振るいわけながら見ていたようにおもう。
個人的には有名な作品やクラッシックなものが多く見応えはあるけれど、あまり目新しいものは感じなかったのだけど、もちろん素晴らしいとおもう好きな作品たちはたくさんあった。
でもこれだけの多種多様な写真作品のなかから「好き」か「そうじゃない」かは選べても、何故なのかと説明しろ、と言われても、答えは漠然と霧がかかっているようで、ずっと自分に問いかけていた。
 
ちょうどレセプションの翌日に訪ねたhpgalleryでのトークショーでも、TOKYO PHOTOを引き合いにだして、あれだけの数の作品をみると胸に湧いてくるのは、「良い」写真と「悪い」写真の違いとは、「良い」写真の定義とは、ということで質問をされていて、私はまた自問自答した。
 
「良い」「悪い」で写真を判断することに意味があるかはわからないけど、確実に人を圧倒するような作品というのはある。
「上手い」「下手」でもなくて、圧倒する強さのようなもの。
必ずしも芸術作品として認められていなくても、そんな写真はたくさんある。
 
私にとって、自分の写真をふくめて人の作品をみるうえで基準になるのは「感じる」かどうか、なのだとおもう。
芸術全般でいえることだけど、なにかを感じて考えさせられるところがあるかどうか、というところに行き着くようにおもう。
必ずしも心地よい「好き」という感覚だけでなくても「刺激」でも「嫌悪」でさえも「感じられる」ことが重要。
それはあくまでも’自分’に響くかどうかで、個々の状態によって相性もあればちがう解釈もあるので、芸術というものを一般的な尺度で定義するのはナンセンスなのだろう。
 
hpgalleryでは、若い作家さんは数学的な思考で写真にアプローチしているようだった。
饒舌にコンセプトを語る者、とそうでない者。
 
私にとっての写真とは、作品とは。いままで向き合ってきたつもりで見えてなかったこと。これからもずっと自問自答していくであろう問い。ただ今の私は、すこし霧がはれて、自分が’写真を撮る’という行為に求めていることが、もっと単純で純粋でストレートな表現なのだと、そう開き直ったような確信に近づけたような気分。
 
また時を経ると今とおなじ考えかはわからないけど、今回ほんの少しギャラリー側の人間としてもお手伝いさせてもらうことで見えた作品にたいする捉え方も、きっと自分にとっては新しい視点で、稚拙ではあるけれどいまの時点で思うところををすこし残しておきたいと、そう思った。
 
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