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先週末の晴れた日は、久しぶりに休日らしい休日を過ごした。
すこし追われていた仕事にめどがついて、心に余裕ができたところに気持の良いお天気だったので、洗濯と掃除を済ませて、撮影に散歩に出かけた。
降り注ぐ陽の光りは眩しいほどで、すこし伸びた影が織りなす木漏れ日が、何気ない一日をとても贅沢なものにしていた。
気付けばいつの間にか黄色く染まった木々たちが輝いていて、色づいたあとには枯れていくというのに、花が散る前に咲き誇るように、なんだか’生’を無性に感じた。
最寄りの大きな公園へいくと、皆が思い思いにあつまっていて、フォークギターを弾いて唄っているグループに、仮装してる人達に、シャボン玉であそぶ子供たち。家族連れであそぶ子供たちの甲高い笑い声が響いてて、’平和’を絵に描いたような光景に長閑に癒された。
 
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そして今日はちょうどハロウィンだ。
昨年書こうとしていて書けなかったのをおもいだして、写真をさがしてみたのだけどあまり出てこなかった。
NYにいた頃、ハロウィンはやはりパーティーに出かけたりしていた。
友達の家から友達の友達の家へ、最後には知らない人の家のホームパーティをハシゴしたりして、ただ飲んでるだけなのに随分とたのしかった。地下鉄に乗ると中途半端な仮装の自分が恥ずかしくなるくらい皆が本格的な仮装をしているので、数少ない普通の人が真面目に乗ってたりすると浮いてみえるようなそんな盛り上がり方をしていて、街全体がお祭りムードなのがまた楽しかった。
ただでさえ、日本にいるときよりも知らない人との壁が低いとおもうのだけど、仮装をしている者同士はみんなが仲間というくらいフレンドリーで、皆が楽しんでいる、という感覚が楽しいのだろう。
アメリカ人のルームメイトの美大生も、毎年気合いを入れて衣装を作ったりしていて、そのクオリティーの高さと熱の入れように驚かされたけど、既成で済ませないで創造的に楽しむ姿勢とそんなアメリカ人らしく全てを全力で楽しむ文化がいいな、とおもった。
 
日本でも最近は随分と仮装をした人を見かけるし、子供たちが仮装して街を歩いてたり、イベントとして根付いてきてるようで、そんな変化はアメリカでの楽しさを知っている私には嬉しくて出来る限り私も楽しむようにしてるのだけど、昨年につづいて今年も時期的に少し余裕がなくて残念ながら仮装はできなかった。
 
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そもそものハロウィンの由来、古代ケルトの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日で、この日を境に太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まることを意味していて、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたのだそうだ。
 
ハロウィンはその日に霊界からやってくる悪霊への魔除けの意味として始まったというのだけど、いまとなっては’楽しむ’という事が魔除けになっているようにかんじる。
というのは、NYにいた頃、この時期から日が短くなってくると気持も落ちやすく鬱の症状になる人が多い、と聞いたことがあって、四季のある日本でも同じように、どんよりとした天気が増えて夜が長くなる時期には、不安な気持や寂しい感覚がつよくなったり、気持ちがいかに天気に左右されるのかはわかるとおもう。
 
NYでは、そんな時期に、ハロウィンのあとの11月の収穫祭(サンクスギビング)と、クリスマスまで、空の明るさと反比例するように街が明るく賑やかになり、人々も思い思いにイベントを楽しんで、もしかしてこれは偶然なのかもしれないけれど、悪霊に心を持っていかれないように、うまく出来ているのではないかなあ、とそんなことを考えていた。
 
だから日本にいても、今年は仮装をして楽しめなくても、晴れた休日に日を浴びて最後の’生’を精一杯に感じれて、私の魔除けは効果があったとおもう。
さて、明後日からはまた少し日の長い香港へ旅立ちます。
 
 
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