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もう少しで1周忌を迎える。
先週、2週間ぶりほどに実家に帰ると、前回まだ蕾だった桜はすっかり散っていて、
昨年、父が亡くなったときに咲き誇っていたハナミズキが、満開となっていた。
気のせいか、昨年よりも濃い色をしているようにみえる。
 
 
ほんの1日の弾丸帰省だったのだけど、
初夏のように暖かな気持ちのよいお天気で、
母と庭に出て食事をしながら、父のことをはなした。
いつもこうして父も庭に出て景色を眺め、母とよく一緒に食事をしていた。
私はこの1年、父をずっと近くに感じていたけれど、
家にいて父の不在を毎日感じていた母には、もっと辛い1年だったろう。
 
 
時折、風が桜の花びらだけを運んでくる。
長閑で穏やかな季節に父が逝ったことに感謝する。
蝶がヒラヒラと同じ場所を行ったり来たりするのを見ていると、
ふと父の化身ではないか、などと考えてしまう。
 
 
1年経ったいまの気持ちに、自分で耳を傾けてみるように目を閉じる。
優しい風が頬をなでると、自然と涙が出ていた。
毎日をどんなに楽しく元気に過ごしていても、
まだ心の根っこに悲しみが傷のようにある。
蓋をして傷が膿むのを防ぐためにも、
時々こうして風をいれてあげることが必要なのだとおもう。
 
 
それでも、先日夢のなかで「父がいたら…しただろう」と考えていて、
目が覚めたとき、それまでいつも父が普通に日常にいる夢ばかりを見ていたので、
もしかするとやっと私は父の不在を受け入れたのかもしれない、
と不思議に感じて、同時に少し寂しくもあった。
 
 
この1年、いろいろなところへ行く機会に恵まれながらも、
どこか自分は内を向いていたような気がする。
外へ出ることで随分と励まされ、気分転換にもなって、
毎日を一生懸命楽しく生きようとしながら、実家に帰っては庭の写真を撮る。
どんなに外へ向かっても、写真を撮ると、私は内を向いていたように感じる。
それが必要な時期だったとおもうし、私の写真はいつもそういうものだともおもうけど、
もうすぐで1年を迎えるいま、少しずつ外へ向かう頃だと感じている。
 
 
父が亡くなったあと、どこかでみた誰かの言葉に、
親の死は、親からの最後のプレゼントだと書いてあった。
 
 
私には、この言葉がいろんな意味で本当にその通りだと実感している。
 
 
親から受けていた愛情の深さや、周りの人に支えられていることや、
本当にいろんなことを気付かせてくれたなかで、最近とくにおもうのは、
世の中には ’どうしようもできないこと’ というのが確かに存在する。
’死’という、抗えない、自分では’どうしようもできない’ことが確実にあって、
それを受け入れて、その悲しみを乗り越えて生きていくとして、
むしろそれに比べたら、自分次第で ’どうにかできる’ こともたくさんあるのだと悟った。
 
 
きっと自分次第で変えられることはたくさんある。
そうおもえることが、私にとって父からのギフトなのかもしれない。