ss2058_c.jpg

 

更新日をすっかり間違えていて、このブログを書くのが遅れていたら、日本列島が寒波の影響で、東京でも大雪となった。

さすがに吹雪のように激しい降り方に、子どものようにはしゃいで喜ぶという気持ちではなかったけれど、それでも雪は嫌いではないのだ。

警報まで出ていたので家で避難していても良かったのだけど、ある用事で出かけようと、クローゼットの奥からこんな日のための一番暖かいコートを出してきて、着込んで出かけた。

 

——————————————————–

 

NYに移り住んだとき、最初の年は暖冬で、出来るだけ荷物を身軽にと軽いピーコート1枚を持っていっただけだったのに、その冬は過ごせてしまった。寒くなったら現地でコートを買えばいい、と思っていたので、機会をみつけては探していたけれど、貧乏学生として節約しなければいけなかったし、何より自分に合うサイズの良いコートが見つからなかった。

次の年の冬になって、さすがにNYの冬らしく冷え込んできていたので、そろそろ日本から送ってもらうか、なにか買わないといけないなあとおもっていたときに、古着屋で見つけたコートがあった。

友達と一緒になにげなく寄った店で見つけたコートは、外は可愛いチェック地で、内側に毛皮のように厚い起毛がついていて膝下まであって、とにかく暖かいことは間違いなく、サイズも珍しく自分にピッタリだった。

いま思えば、これこそ待ち望んで探していたコートだ!と確信がもてるのに、そのときはなぜか躊躇して買わなかった。

値段が手が出なかったというわけではなかったとおもうのだけど、節約癖が身に付いてしまっていたのかもしれない。

とにかくどうして躊躇したのかは分からないけど、迷って買えなかった。

数日後、やっぱりあのコートが欲しいとおもった。

私にはやはりあのコートが必要だと確信し、はやる気持ちで再度お店へ行ってみると、コートはもう売れてしまっていた。

どうしてあのとき買わなかったのだろう、と後悔してももう遅く、古着との出会いは一期一会で、二度とおなじ物を見つけることは難しいだろう。

とてもガッカリして、手に入らないとなるとさらに募る思いを抱えていたとき、友人が訪ねてきた。

あの日、一緒にコートを見ていた友人だった。

プレゼントといって渡された紙袋には、あのコートが入っていた。

一瞬、あまりに嬉しくて良く理解できなかったのだけど、私がとても欲しそうだったと思ったから、その後もどって買ってくれたのだという。

たしかそのプレゼントを持ってきてくれたのは、ちょうどバレンタインの日だったとおもう。

今までで人からもらったプレゼントのなかで、本当に最高に嬉しいプレゼントだった。

今思い出しても涙がでるほどに、その優しさに心を打たれて、感動した。

そして、その冬以降は、NYにどんな大雪が降っても寒くなっても、私は暖かく過ごすことができたのだ。

 

———————————————————

 

日本に帰ってきて、そのお気に入りの思い出のコートは、クローゼットのなかに眠ってしまう事がふえた。

東京で普段に着るには少し大げさな気がして、あまりにもモコモコになってしまう姿が恥ずかしい気がして、それでも、今日のように大雪が降ると私は迷いなくそのコートを出して着て、暖かさに包まれる。

私には雪の日のとっておきのコートがあることが嬉しくて、雪が降ると着れることが嬉しくて、大事な思い出とともにとても幸せな気持ちになるのだ。

 

考えてみると、いままでに一体どれだけ人に親切にされて与えてもらってきただろうか、とおもう。

私は気づけばいつも恵まれて与えてもらって生きている。いまの私と私の心を形作るのは、そうやって人からもらった愛情なのだとおもう。

ちょうどそんな気持ちが私の心を占領していたときに、ふとネットで見た格言に、出所不詳の言葉ながら、

「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」

と書いてあり、その真理を噛みしめてしまった。

人から与えられたものが、私のなかにずっと残っている。

そして私はいったい人に与えられているだろうか。どれだけの人に、自分がもらった愛情を返せているだろうか。

私が人に与えられることとは、いったい何だろうか。

いつか、私の写真は、人になにかを与えられるものになるだろうか。

 

雪の日には、なぜかいつも以上にそんなことを深く考えてしまうのだ。

 

ss2059_c.jpg