逆境にこそ咲く花あり 
会津の教えを胸に幕末を生き抜いた、新島八重の生涯。

 

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弘化2年(1845)、会津藩の砲術師範であった山本権八・佐久の子として生まれた八重。7歳の頃には、会津藩の教えである「日新館童子訓」を暗誦するまでに身につけた。 

慶応4年(1868)の戊辰戦争では、新政府軍との戦いで鶴ヶ城に籠城。自らも銃をとって男性と共に奮戦するも、会津藩は敗戦する。敗戦後は、兄の山本覚馬を頼って京都に移り、その半年後には、京都最初の女学校「女紅場」の教師となった。 

教師を務める傍らで、英語や聖書も学び、明治8年(1875)には、アメリカ帰りで後に同志社の創立者となる新島襄と出会う。その翌年、襄と八重は結婚。レディファーストを貫き、気高く毅然と立ち振る舞う八重の生きざまを、襄は「ハンサム」と評した。 
日清、日露戦争が起こると、ハンサムウーマン「八重」は故郷の魂を胸に篤志看護婦として果敢に行動していく——。 

本展では、NHK大河ドラマ「八重の桜」と連動して、同時代の資料や新島八重
ゆかりの品々約200点を紹介し、戊辰戦争の敗戦から立ち上がる人々の姿を通して、復興へのメッセージを伝える。 

【展示構成】 
プロローグ 
第1章 会津の教え 
第2章 幕末の京都 
第3章 会津篭城 
第4章 古都復興—覚馬と襄 
第5章 ハンサムウーマンへ 
エピローグ