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昨夏のお盆休みがあけたころ、森山大道さんの写真展「北海道—第2章/展開」を観に、小樽から札幌へ、一人旅をしました。小樽の北運河に近い小さな宿に泊まり、 ちょうどその晩「おぼん万灯会」が行われると知り、 そこからほどなくの小樽運河公園まで、夕食前の散歩がてら、ふらりと歩いていきました。

関東北部の企業城下町で、その企業に勤めるサラリーマン核家族の家庭で育ち、とくに両親ともお盆にまつわる行事などもせず、お盆休みに帰省するとはいっても、どちらの祖父母の家でもそんな風習に馴染みのなかった私には、初めて目にする灯籠流しでした。

晩夏の夕暮れどき、多くの人がより集い、読経の響くなかを、灯火を点した灯籠がゆるりゆらりと流れていくさまは、とても艶やかで、また厳かで、通りすがりの一観光客である私の心にも、美しく切なく響きました。

今春、とても多くの人の命を、あっという間に奪い去っていった東日本大震災…生き残られた方たちも、未だなかなか進まぬ復興のなか、日々生き抜くことに精いっぱいであられると想うのですが…震災から5ヶ月経ったこのお盆の時期に、被災地で、多くの祭りと、お盆の行事と、そして花火大会がとり行われ、それをニュースで目にするたびに涙があふれ、日本の夏のこれらの風習を、生まれて初めて、ほんとうに愛おしく感じました。

死者の霊を灯火でむかえ、しばしともに過ごし、艶やかな花火と灯籠とで、また死者の国へ送りかえす…

遺された方たちも、これらの灯りを、亡くなられた方々の霊魂とともに眺められ、どれだけ癒されたことでしょう。

ちょうど敗戦の日もあり、この夏の日本列島には、ものすごくたくさんの霊がつどい、灯りを歓び、そしてまた戻っていかれたことでしょう。きっと、これからの日本の復興を見守ってくださると、信じます。

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いま居る場所の、足もとの光景…日々、小さなカメラを首から下げて家を出て…
ごく身近な近所の買い物途中でも、仕事の行き帰りでも、旅先でも、
誰かに会いにいくときでも…ふ と 気になったときに写す。

「みちみち日和」とは、そんな私のふだんの写真とのつきあい方を、表した言葉です。

日ごろ、テーマもあえて意識せず、枠をせばめず、ごく日常的に見聞きするニュースや
友だちとの会話や、仕事先でのできごとや、私自身の感情の動き…
そんなこと全てひっくるめて自分のなかに浮き沈みする気配のようなもの。
それに ふっ と引っかかるとき、つ…とシャッターを押すのですが
そのようにして、わらわらと撮りたまっていく写真のなかから
ときどき ふっ と心に引っかかる写真が浮かんでくることがあります。
その引っかかりが何なのか、そのときはよくわからないまま
また心のなかに沈んでいき…あるとき、またふっと
メッセージとして、ある靭さをもって浮かび上がってきたりします。

このブログでは、そんな風にして浮かび上がってきた写真とメッセージを
なるべく丁寧に掬いあげていきたいと考えています。

また、私は個人のブログも持っていまして…

日々のなるべく現在進行形の話題はこちら『photosynthesis*』
http://michikophotogarden.seesaa.net/
写真って、植物の葉っぱの光合成のようだ、と感じて名づけました。

インターネット上に写真を載せることに慣れるため、まずは携帯で撮れる写真で2006年から始めた、元祖『みちみち日和』もあります。
http://ha-mi.cocolog-nifty.com/blog/
こちらは、いままで同様、携帯のカメラで、おもしろい写真を写せたときに更新する… ときには数ヶ月に一度、忘れたころの更新になってしまう、とっても緩やかな存在です。

同時に3つもブログを抱えて混乱しそうでもありますが、このSawawaでの
「林道子の みちみち日和」の2週間に一度の更新をひとつのリズムとして
あとの2つはゆるやかにリンクしていければ…と思っています。

これからも、どちらも、どうぞよろしくお願いいたします。